広島への旅

 先日、仕事で広島に行ってきた。高校2年の修学旅行以来の広島だから、5年ぶり(・・・すみません、嘘つきました。軽く21年前でした)。せっかくなので自費で前泊。実際の仕事時間までに、広島城を見に行き、天守閣まで登った。

 歴女(れきじょ・歴史好き女子の事)として、この上ない幸福…に見えたが、江戸時代から続く広島城は194586日の原子爆弾投下で天守閣は倒壊、門や櫓(やぐら)は焼失している。原爆で焼失した二の丸の表御門や、いくつもの櫓は、戦前の写真・図面や発掘調査の成果を元に、1994年 までに、木造で江戸時代の姿に復元されたという。思えば、日本にある城の多くは、戦火で焼失・戦後再建というものが多い。「1994年って最近のことじゃん」。そう思いながら、めぐり歩いた。

 仕事の会場となった広島教会のH牧師から、空いた時間に被曝瓦を見せてもらった。「教会」が原爆の犠牲になったしるしだ。当時の教会が、原爆によって倒壊した様子を絵にしたものを共に見ながら、何の言葉も見つからなかった。

 翌日、ミーティングを終えて、仕事仲間数人で、広島駅までタクシーに乗った。「広島って、道が広いんですね。どうしてでしょう?」と問う友人に、当初は「そうですかね」と笑っていたドライバー氏が、「原爆が落ちたでしょ?そのあと、県知事だったか市長だったかが、『次にこういう大きな戦争になった時の防災対策で、道路を広くしよう』って呼び掛けたんですよ」と、静かに語った。思わず息をのみ、押し黙る私たちに、ドライバー氏は「そりゃあ、もう、(発言は)問題になりました…。でも、結果的に自然災害の『防災』の対策にはなったんですけどね」と語った。

 仕事を終え、清水に戻って来て、「長崎県議会前議長で自民党のM県議が、2月2日の知事選で再選を目指す現職の個人演説会で、『原爆や水爆をたたきつけるような力で選挙を決めてほしい』と発言していた」とのニュースを知った。M議員は年齢的に、あの戦争を知っている世代だ。絶句。何という卑劣な表現をするのだろうか。

 広島も、長崎も、美しい町だ。美しく再建したのだ。だが、広島と長崎に原爆が落ちた事は ― 約70年前に、戦争があったのだというまぎれもない事実は ― 、けっして「むかしむかしのはなし」ではない。今また、重く冷やかに、のし掛かっている。

 

 

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